言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

小さなお客さん

国道沿いに、大判焼きのお店があった。小さな大判焼きのお店だった。

店の前を通ると、おしるこを少し焦がしたような芳ばしい香りがして
口のなかはいつも、
3日も餌にありつけないノラ犬のように、よだれでいっぱいになった。

小学3年生のときだ。
アベ君と一緒に、たまたま店の前を通りかかったとき
いつのもいい匂いがぷんと鼻をくすぐり、
2人の口は同時に、よだれであふれかえった(と思う)。

アベ君は「10円ある」といった。
私のズボンのポケットには、5円玉1枚。
その日、母親から10円もらったが
アベ君と会う前に寄った駄菓子屋で、
1円の飴を5つ買って食べてしまったのだ。


大判焼きは1つ15円。「半分コして食べよう」と
2人は顔を合わせ、おそるおそる店の暖簾をくぐった。
暖簾には背が届かなかった。

店のなかには、コンクリートの床の上に安っぽいテーブルが2つ。
「ここで食べていいですか」と店のおじさんに聞くと「いいよ」という。
子どもだけで、お店のお客さんになったのは初めてだ。


おじさんは「はい、どうぞ」と2人分のお茶を出してくれた。
お茶は、茶でも緑でもない薄い色で、香りもなんにもなかった。
それに熱すぎて、すぐにはすすれなかった。

ほどなく、焼きたての大判焼きがお皿にのって1つ、運ばれてきた。
私たちは、すっかりお客さんの気分だった。
アベ君は10円も出したのに、「いいから。半分食えよ」とやさしかった。
湯気の出ている大判焼きを2つに割ったのは、私のほうだった。
アベ君が「ほら、割って」といってくれた。
アベ君の分を少しだけ多めに割ろうと思ったが、
私は計算尽くで、ちょうど半分コになるように、慎重に割った。

2人とも、一口で、目の前の大判焼きがなくなった。
残ったお茶をすすったが、これも一口でなくなった。


あとはなすすべもなく、2人で口を揃え
とうさんたちが食堂を出るときみたいに「ごちそうさん」といって店を出た。