言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「見るまえに跳べ」と刹那

歌を聴いて初めて泣いたのは
岡林信康の「山谷ブルース」だった。
69年録音のLP「わたしを断罪せよ」に収録されている曲である。

当時はまだケツの青い子ども。
生意気にも、この曲を聴いて、大人になってからは労働者として生きることを決意し、
翌年に発売されたLP「見るまえに跳べ」に
収録されている「堕天使ロック」(詩曲・早川義夫)を聴いてはまた、
一生「見つめるまえに、跳んでみようじゃないか」
と心に決めていた。


同じ盤に収録されている「自由への長い旅」や「私たちの望むものは」も
「いまある世界に留まることなく、自由をめざして生きるのだ」と
いま思うに、意味不明の決意を抱かせるに至った曲だ。
この頃から脳みそが軽かった。


が、思春期の夢想とは怖ろしい。
私はその後、大学在学中のほとんどの期間、
道路工事や横浜港での荷役など、ドカタ仕事のバイトで生活費と学費の一部を稼ぎ
卒業式を待たずに旅立ったユーラシア大陸の旅から帰ってもなお
ドカタ仕事をしながら、旅に出ることばかり夢見ていた。
将来など考えることなく「見るまえに跳べ」を実践する生き方でもあった。

この仕事に入るきっかけとなったのも、
求人誌でチェックしたある建設会社の道路工事の補佐と
某マスコミ系の人材募集の2つのうち
たまたま、後者の面接が1日早かったということだった。
以来、学生時代には
一度も考えもしなかったこの業界で、同じ仕事を続けてきたことになる。

知らない世界だったから必死だった。

この街に来てからもまた「見るまえに跳べ」の連続だった。


しかし、年を重ねるごとに
次第に「跳ぶ」ことは少なくなり
名ばかりの小さな会社を興してからは、刹那を生き伸びる術も身に付けた。

この間、親しい人をたくさん失った。
「毎日を、最期の日だと思って生きなさい」といってくれた先輩のAさん。
「刹那の意味を考えなさい」と言い残して旅立った、僧侶のBさん。
こうして私は、
次第に「見るまえに跳ぶ」ことから遠ざかり、
時間を慈しむことも、現実から目を逸らすことも、徐々に覚えてきた。

 


ちなみに、仏教でいう「一刹那」とは75分の1秒。
このごく短い時間でさえ大事に生きる、
というのが「刹那主義」の本来の意味という。


心のなかで息づく「跳ぶ」ことへの憧憬を抱きつつ、
この刹那をいかに生きるか──。
そう考えられるほど、いまだ成熟した自分ではないが
近年は、跳ぶどころか
階段の昇降さえ、つらくなりつつある。




1970年発売の「見るまえに跳べ」岡林信康
いまも、大切にしまってある1枚。
こんな髪型、してみたい。