言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

思い出さなければならないほど忘れている

空路で大阪に入り、
そのまま奈良・Aに向かう。午後から和歌山・B市のC社。
翌日は大阪市内。


この間、D社大阪支店のE支店長、
建築士でインテリアコーディネーターでもある
F子さんのお二人には
スケジュールの段取りから運転、食事にいたるまで
お世話になった。ありがとうございました。

大阪まで来たのだから
学生の頃に長期間アルバイトでお世話になった
店のおじさんの仏壇にご挨拶をと、京都に向かうことにする。
来年は、十七回忌。
おじさん亡き後は、長男のG君が家業を継いでいる。


「あの、G君いらっしゃいますか」
「その声、わかるよ」

驚かせてやろうと、いきなり電話をして訪ねていったのは
何年前のことだろう。
G君は同い年。
私がアルバイトをしている頃からずっと
G君は、店頭に立っていたし、まかないまで仕切っていた。

今回もアポなしと決めていた。
以前みたいに、突然電話をして、G君とおばさんを驚かせてやろうという魂胆だ。


「G君、いらっしゃいますか」
「はい、いえ…」

電話に出たのは、アルバイトらしい若い女性だった。
「すみません、G君は」
「いえ…」
「外出ですか」
「あの、先日、亡くなりました」

ホテルを出る直前のことだった。
携帯を持ったまま身動き一つできず、何分突っ立ったままでいただろう。

心不全でした」

おばさんを電話に出してくれるようお願いしたが、寝たり起きたりで、いましがた寝室に入ったばかり…との返事。すぐに、京都に向かった。

昔、店の前を走っていた路面電車は姿を消し
街角にはコンビニがいくつか増えてはいたけれど、
南禅寺に向かう蹴上の緩やかな坂や緑の深い杜、白川橋のたもとのせせらぎ、
風に揺れる川縁の柳の並木も、ほとんど変わってはいなかった。

そんな思い出の余韻に浸る間もなく
裏口に回ってガラッと玄関を開け、
「おばさーん、おばさーん」と家の中に向かって、大きな声で叫んだ。


驚いて出てきた板前さんらしき人が「どなたさん?」と
尋ねたが、
そのまま「おばさん、いますか」と聞いた。
ただならぬ気配を察したのか、
板前さんは「すぐに、呼んできます」と寝室まで呼びに行ってくれた。

しばらくして、おばさんが杖をつきながら寝室から出てきた。
身体が小さくなって、
腰が曲がり、顔には幾重にも深い皺が刻まれ、瞼は腫れあがっていた。

私を見て、一瞬きょとんとしたが、そのあと目を見開いて
「来てくれはったんか」と
強い力で私の手ととり、握りしめ、その場にワッと泣き崩れた。
こうして、この日、はからずも
親子二人の位牌に手を合わせることになったのである。

居間に入れてもらう。
仏壇の上には、口ひげをたくわえ
ちょっとニヒルを気取ったG君の真新しいパネルが飾ってあった。
くりっとした大きな目は、昔のまま。
パネルの前にはメガネとタバコとライター。
亡くなる直前まで愛用していたのだろう。

夕食の誘いを断って、どこにも寄ることもなく
地下鉄で二条城の真ん前にあるホテルに入った。
この日は今回の旅の締めくくりにと、高級ホテルのツインをとっておいた。
広い部屋で二条城のライトアップを眺めながら
旅の最後の夜を
少し贅沢に過ごそうと思っていたのである。


そんな気分はとっくに失せていた。
窓ガラス越しに、蝉の群の鳴き声がギーンギーンと、聞こえている。
カーテンを閉め、眩しすぎる西からの光を遮断し、ソファに重い腰を下ろした。


G君やおじさんの笑顔を、たくさん思い出そうと頑張ってみた。

頑張らなくてならないくらい、忘れてしまっている自分に腹が立って

右手に握りしめたままの部屋のキーを、ベッドの枕に向かって思い切り投げつけた。






店の近くに流れる白川。
休憩時間、よくこの川縁を散歩した。おじさん、G君、おばさん。また、ね。

合掌。