言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

時間の養分

農産物は本来自然の営みが作るもので
人間はちょっとした手助けをするだけである。
味噌、しょう油、納豆などの発酵食品も
本来は自然のなかに存在する酵母や菌と時間との相互作用で完成される。

大手食品会社の取材をしたことがあった。
味噌もしょう油も塩辛も、発酵食品はすべて、
時間という工程が徹底的に省略される。
食品は白衣の研究者たちが研究室で生み出す「商材」。


「1年間も待っていられない。工程を短くするだけで製法原理は同じ」
彼らはそういって、胸を張る。


薬剤を媒体に、数時間あるいは数日単位でできる
発酵食品はすでに「工業製品」。
自然の地力を低下させてもなお
資材と薬剤を用いて収穫向上を図る近代農業と同じ発想だ。

同じように、住宅建築に多く用いられる人工乾燥材。高温の釜で短時間で含水率を下げる。長尺ものを乾燥させる巨大な釜もある。


天然乾燥材を選んで使用する工務店もあるが、ごくわずか。知人の林業家がいう。
「人工乾燥は電子レンジと同じ。拡大すると細胞がみんな死んでいる」
木、本来の効用がそこにあるのか言及する人を、まだ知らない。電子レンジで温めた食品本来のエネルギーの損失についても。

 

宗教家は神が創った自然、という。
農学者は温度と水と土と気候が産物を産む、と説く。
企業家はあらゆる工程を省いて、自然を化学・科学的・経済的に加工する。
誰の答えも正しく思えてくる。

一つだけいえるのは、
時間にもエネルギーがあるということだ。
自然が育てるだけではなく、時間の「養分」がそこに加わって
ほんものの農産物や発酵食品ができる。昔、おばあちゃんが、そういっていた。


家も同じだった。いい空気と四季の陽光、時間の養分を
たっぷり吸い込んで木ができる。
そこに人の手を加えて家を組む。日本の家はもともと農産物だった。

大工さんは、天然乾燥だから木の癖を読めた。人工乾燥では樹種本来の特色もあまり生かせない。

 

こんなにも、消費者は「待つ」ことが苦手になった。

パソコンで調べ、パソコンで文を書き、手紙の代わりにメールやFAXを送りつけ、フィルム現像の工程を節約し、日々デジカメで撮影する。

 

こんな自分に、こんなことをいう資格などないのだけれど、遅れることを、もっと大事にしようと決めた元日。