言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

見えぬものこそ

 

 

湾岸線が緩やかな弧を描き、
静かな波が繰り返し繰り返し、浜辺に寄せている。


海に面して、古い木造の駅舎があった。
天井は高く、四方の壁に巡らされた真四角の大きな窓から
淡い光が、駅舎のなかに射し込んでいる。

 

駅舎のはずなのに、人や汽車の気配はない。鉄道員だった父の姿も見えない。


なぜか、駅舎のなかまで車で乗り込み、
改札の真ん前で車を止めた。細かな砂埃がふわっと舞って光に透けた。

 

車を降りて後ろ手でドアを閉め、
改札に行って、新幹線の切符を買おうとしている。
黒光りした机でこちらを凝視する女性は、
切符がほしいという私に向かって、静かにこう話す。

 

「切符は売れません。『ゲド戦記』の第一巻を読みなさい。
第一巻が読破できれば全5巻もすぐに読めます。あなたにも理解できる」


切符は、諦めた。でも、なぜ、本なのか。
その場に車を乗り捨て、駅舎から出て、海辺に向かった。

夕刻。
海は凪いでいた。
いままさに、まん丸な赤い夕陽が
世界を朱色に染めて、彼方の水平線に沈もうとしている。



砂浜に、亡くなったはずの父がいた。
「きれいな夕陽だ。ここに来て、一緒に見ないか」
あの声だ。手招きをしている。
大きくも小さくもない、見覚えるのある、父の手。



父の隣に立った。懐かしさで身体も心もかすかに震えた。
夕陽が海に沈んでいくさまを一緒に眺める。
2人とも、無言である。
時間が、かすかに軋む音をたてて過ぎていく様子を
慎重に意識して味わった。



目が覚めた。おとといの夢だ。
いまも、ずっしりと重く、気持ちのなかに夢の余韻がある。



乗り捨てた車。買えなかった新幹線の切符。
生産的な生き方に、
そろそろ終止符を打て、とでもいうかのようでもある。


浜辺にいざなった父からのメッセージだろうか。
夕陽は「老い」、
海は「潮時」あるいは「引き潮」の象徴なのか。