言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

ギン映のこと。

ギン映という古びた小さな映画館があった。東映はギン映に比べると少しは小ぎれいだったが、ギン映はどこもかしこもションベン臭くて、この便所には、外から子どもが入れるくらいの穴まで開いていた。映画好きの父に連れられ、何度も行ったが、映画は好きでも、内心はいやでしょうがなかった。

満員のときにも、がら空きのときにも、チケット売り場に人はなく、もぎり嬢もいなかった。あてにならない「上映時間」に合わせて観客が席につき始めると、ヤクザ風情のおじさんが帽子を持って席を回り、お金を帽子に入れながら、中二階の映写室に向かって「今日は2回まわせばいい」なんてふうに怒鳴る。

 

そのギン映に、一度だけ、母と行ったことがあった。

小学2年生のときだった、と思う。授業の終わりにヨシコ先生が「ギン映で楽しい映画やってるよ」とみんなの前で話したのだ。キンちゃんが興味津々の顔つきで「なんちゅう映画だ」と尋ねると先生は「その映画はね、『おやゆびトム』っていうの」とやさしく答えた。

私は、蒸気機関車みたいな勢いで家に飛んで帰り、茶の間で内職をしていた母に「ギン映行きたい。先生、映画に行けっていってた」とウソをついた。母は大きな裁ち鋏を手にしたまま、振り向くことなく「行け、っていってたか。おまえ、大袈裟にいっていないか」とつれない返事をした。それでも私は「この映画観ないと、損するって先生いってた」とかなんとか母をまるめ込み、結局、妹と一緒に、夕刻、ギン映に連れて行ってもらったのである。

ギン映は満席だった。珍しく、切符も窓口で売っていたし、窓口にいた人がすぐに移動して、もぎりもやるという入れ込みようだった。暗闇のなかに、キンちゃんやスケゾー、ヨシコちゃんたちの姿もあった。みんな母さんたちと一緒だった。私たちは、映画の席に座れず、最後まで立ったままだった。それでも、私は母の体温を真横に感じながら、映画を味わった。その時間を、味わったのだと思う。

その夜、母は、徹夜をした。私たちをギン映に連れて行ったことで、その分作業が滞ったのだ。あとになって、そんな愚痴を話す母の顔は、決していやな顔ではなかった。


子どもはこんなふうに、親の時間や金やその身体からも、あらゆるものを盗み、奪っていく。かくいう自分も、親の生き血を吸いながら、ここまで生き続けてきたのだ。

親から、存分に「盗む」こと、「奪う」ことができずに育った子どもは、大きくなってから、他人の生命やモノまで盗んでしまうことがある。いつか読んだ心理学の本に、こんなことが書いてあった。依存し尽くさないと、ほんとうの自立はできそうにない。

 

だから、子どもたちよ。遠慮はいらない。親から、全てを、奪え。