言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

過去を忘れた人

確か、2006年の秋のこと。
テレビで「泣きながら生きて」というドキュメンタリーがあった。
番組を見終わってから
朝刊のテレビ欄に載った番組評を切り取り、
ノートに大切に挟んである。

上海から日本に来た男性と、離れて暮らす家族の日常。
娘に高等教育を受けさせるため、日本で昼夜働き続ける父。
やがて娘は米国の大学に入学する。


上海から米国に向かう途中、
東京でのトランジットを利用し、父娘は8年ぶりに再会する。
一緒にいられる時間はわずか一夜。娘は翌朝早く、米国に旅立っていく。


数年後、米国の娘を訪ねる途中、
妻もまたトランジットを利用し、夫とつかの間の再会を果たす。

 

駅で別れるときの、父娘、夫婦の慟哭。
日本で身を粉にして働く父親と
離れても互いを思いやる家族の思慮深い表情に、圧倒され、涙した。



以前、中国残留孤児のAさんの話を伺ったことがある。
Aさんは、日本と日本人をこう評した。


「過去を忘れた人間は、必ず未来から復讐されます」


中国では「馬のように働いてきた」といって笑った。
職にも就けず、地域にも溶け込めず、
生活保護を受けながら暮らすAさんから、後日、何通もの手紙を受け取った。
手紙はすべて、番組の家族とだぶって見えた。



仕事が辛いと思うとき、Aさんからの手紙やこの切り抜きを眺めてみる。
呆けた自分には足元にも及ばない、苦労と努力の人たちだ。
毎朝、今日も一生懸命働こうと誓うけれど、たいていは夕刻に力尽きて情けない。