言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

夜の会話

人の話を黙って1時間聴く。
無言のまま、パソコンや紙に向かってひたすら書く。
ただ聴くだけ、ただ書くだけ。
そんな日々。

誰かとふつうに会話がしたいという希求は
常に自分のなかにある。
が、そんな誰かを思い浮かべると、
ほとんどが亡くなった人たちというのも、困ったものだ。



しかし、心のなかでの言葉の往還は、楽しくてしようがない。
楽しいだけでない。自分のありのままが認められ
相手も当たり前に自分のなかにある。

 

この安心感。
音も声も光も時間も存在しない世界ではあるが
それでもなお、ずっと会話が続いていったら、と願う。



近頃はとくに、
あなたのことを知りたくないわけではないが
まずは私のことを知ってほしい。
そういうタイプの人が増えてきた。
その手の人の話を聴く作業が、次第に苦痛になっている。


心のなかで生き続け、そこで言葉を交わす人たちは、
自慢話も愚痴も、取引、駆け引きもない。
誰より、自分の話を、じっと聴いてくれる人たちだ。

夜。
布団に入り、今夜は誰と話そうかと考える。
20代はじめのころから、毎夜の習慣である。

 

内なる世界で響きわたる言葉はやがて、
現実世界の自分の声や活字の糧となっていく。

互いを受容し合った上での言葉には、そんな力がある。
現実世界であろうとなかろうと、である。