言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

ラベンダー咲く家。

「ラベンダーが咲き始めました。ぜひ、お越しください」
A子さんから届いたお便りに誘われ、B町の工房を訪れたのは、何年前のことだったろう。確か、ご主人のCさんが亡くなったあとのこと。蛇行するに寄り添うように曲がりくねった細い道を、行きも帰りも涙が止まらぬまま、クルマを走らせた記憶がある。あの日からA子さんは一人になった。

畑は濃い緑に覆われ、点在する赤や黄の花に混じって、ラベンダーの群が空の蒼に負けじとばかり、鮮やかな紫紺色を主張していた。涼しさと静けさと寂しさとが混在した空間。時の移ろいが、しばし止まったかのようだった。

工房からA子さんが飛び出してきた。「いらっしゃい」。相変わらず、花のようにきれいな人だ。ふと、一陣の涼風が頬を撫でて、ご家族と過ごした時間が小間切れになってよみがえる。

とある町で喫茶店を営んでいた。Cさんの持病がひどくなり、空気のいいB町に移り住んだ。かつて診療所だった空き家を借り、家の前の畑にはハーブを植え、A子さんは自宅の一部を工房とした。Cさんはそこで絵を描き、時折、コレクションのレコードを抱えて、近隣の町村で音楽と語りの小さな会を開いた。

工房には、往時のレコードや真空管のアンプ、JBLのスピーカーなどがあって、おじゃまするたび、音楽をBGMに家族の話をうかがい、A子さんからは美味しいハーブティーをご馳走になった。
一人娘のD子ちゃんは、結婚し、子どもが産まれてすぐに、我が家にも遊びに来てくれた。さかしらな計算や知恵、感情の微塵もない、この人たちと過ごす静謐なその時間は、忘れ得ない時間となった。

あの日の工房は、以前と少しも変わってはいなかった。変わったのは、A子さんが、少し小さく見えたことと、愛犬のD君が老いてやせてしまったこと。生前、ご夫妻と親交のあった加古隆のピアノがJBLから静かに流れていた。

「私を救ってくれたのは、やっぱり音楽でした」
A子さんはそう話してくれた。ある日、ラジオから流れてきたヴォーカル。いまも、曲名はわからないが、その1曲を聴いて「生きようと思った」といった。

あっという間の3時間。クルマを出し、バックミラーをのぞくと、大きく手を振るA子さんが映っていた。






















懐かしい工房。ご家族が揃った小さな居間には、いつもハーブの香りが漂い、静かに音楽が流れていた。A子さんはその後、工房と畑を他の人に譲り、いまは、県外のE市で暮らす。