言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

遺言。

きのうの午前。ちんたらとデスクに向かっていたら、ピンポーン。平日なのに誰かしらとドアを開けると、Aさんが立っていた。いつものように、ちょっぴりはにかんだ笑みを浮かべて。

「突然、すまん」というAさんを「まあ、お茶っこでも」と狭い仕事場に誘い、喫茶去。どうせ、仕事が進まぬところだった。

Aさんは、椅子に腰かけると、ぐるりと室内を見回し「この仕事場、いいな」という。以前、来たときにも、同じことをいった。
「仕事をする気になる仕事場だ」
「そんなことないです。いつだって、ノラない」
そんな話のあとで、急に真顔になったAさんは
「ところで今日は、頼みがあって来たんだ」
何ですかと尋ねると「遺言を書いてほしい」。


検診でガンが見つかった。転移もある、といった。しばらく言葉が見つからなかった。目の前のAさんは冷静だった。
「世話になった人たちに言葉を残しておきたい。だけど、俺は文章が苦手だ」
私が聞き取りをし、それを文章にまとめる。その作業を手伝ってほしいというのであった。
遺言の宛先は10人。経営の関係は専門家に依頼する。10人には感謝の言葉をきちんとした文章で残しておきたいという。

頭のなかで、いろんな言葉がクルクル回っている。それらを必死でくっつけ、貼っ付け、ようやく出てきた言葉は
「あと、どれくらい?」だった。
不躾なのは承知であった。Aさんの答えは「1年か2年…」だった。胸の奥から突き上げてくる何かをこらえた。

「死ぬのは、許せない」
「生まれてきた以上、死ぬのはしようがない」
「理屈はどうあれ、許せない」
「じゃあ、生まれてこなかったほうがよかったか」

しばし、短い言葉のやり取りがあった。そのあと少し沈黙の時間があって、私たちは冷静さを取り戻した。
「で、いつから」
「来週からまた検査の入院だ。この数日で仕事を片づける。週明けあたりから手伝ってほしい」
「…」
「つまらん仕事で、申し訳ない」

そのあと、いつものように、世間話をした。いつものようにしていられるのが、不思議だった。改めて身体を眺めると、確かに、二周りほど痩せている。
検査入院の後に控えた、手術。以降は、抗ガン剤の治療が始まる。それでも、悲壮感は微塵もない。Aさんの不安は、自身のことではなく、むしろ10人への遺言の中味のように思えた。

「見舞いには、行かないから」
「来なくていい。病院にも仕事を持っていく」
「(遺言の)仕事を始めるときには、電話、ください」
「じゃ、頼む」
Aさんはそう言い残して、少し細くなった背中を見せながら、帰っていった。



「人生の成就は、死ぬ前に何をしたいかを明らかに定義することによってのみ、達成される」と書いた人がいた。(「FACING DEATH」 ROBERT E. KAVANAUGH)



Aさんは「定義」を明らかにした。その定義とは「感謝」にほかならない。自身の人生を振り返り、世話になった人たちに感謝の言葉を整理しお届けする。そうした時間的猶予のあるがんという病気は、ある意味、幸福な病気なのかもしれない。そして何より、人生の締めくくりを「感謝」に絞りきって成就しようというこの人自身は、幸福な人である。

泣いてばかりはいられない。当面の仕事は、この人の言葉の滴を搾り取ること。そう決めている。