言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

Time was soft there.

ちゃんと本を読めるようになったのは、高校生になってからのことだ。小中を通して、読んだ記憶のある本は「トムソーヤの冒険」1冊だけ。読書とはまるで縁がなく、外で遊んでばかりいる子どもだった。

本が好きになったのには、ちゃんと理由があった。遅れ目の思春期を迎え、貧しく、ささくれだった家庭から離れる時間がほしい。人並みに、そう思うようになった。

 

高校の図書館や公共の図書館から借りてばかりで、カバンには常に3冊の本が入っていた。1冊目は朝、通学のバスのなかで読む。2冊目は昼休みや放課後に読む。3冊目は帰りのバスのなかで読むのである。ほぼ10日で3冊を読み切り、ひと月で10冊前後。読書というより、現実から逃避できる時間が心地よかった。

時折、読んだ本の感想を母に話すと「そんな甘っちょろいことでは生きられない」と背中を向けたまま叱られた。思いを話さずにはいられない気持ちとは裏腹に、洋裁の内職に追われ、いつも布と手先を凝視するばかりの母であった。父の職場に、弁当を届けるついでに本を持参し、本の感想を話したことがあった。父は「じゃあ俺も読んでみるか」といって本を預かり、数日経って「いい本だった」と話してくれた。読んでいないことは明らかだったが、やさしい嘘がうれしかった。


そんな父が「西遊記」を買ってきたことがあった。「西遊記」かあ、と心のなかで笑ったが、父もまた母と同じく、本などほとんど読んだことはない人で、知っている数少ない本から1冊を選んでくれたのである。あの日、本を開いたときの紙やインクの匂い、狭い茶の間を灯した橙色の照明のかたちまで、はっきりと覚えている。


仕事の資料は年に二桁もの数を買うが、読書のための新刊はほとんど買うことがない。お世話になっているのは、街の古本屋だ。店に行くと、一生かかっても読み切れないほど、たくさんの本が並んでいる。そこが自分の図書館、自分の本を預かってもらっていると、くだらぬ妄想をする。それだけで、うれしくなってフッフッと笑いがこみあげてくる。


以前も書いたが、本を読むのはソファや畳に寝そべって、あるいは風呂など、いわゆる「そこら」と決めている。そんな読み方は、本に失礼だという人もいる。しかし、自分にとっては、ヨレヨレになるまで読み尽くすのが本への礼儀。図書館から借りた本ではできないことが存分にできる、そんな歓びもある。著者の思いに接近し、活字を自分の血肉にするということは、そういうことだと信じてきた。


1冊を、繰り返し読む。だから、本棚の本もあまり増えない。再読、再再読。本は一層ヨレヨレになって、鉛筆の線だらけ、折目だらけになっていく。この読み方は、昔、仕事でお会いする機会のあった大江健三郎さんに教わった。何度も読みなさい。気に入った作家ができたなら、全ての作品を読みつくすつもりで読みなさい。そしてまた、繰り返し読みなさい。ノーベル賞を受賞する前のこと。当時、大江さんの本は1冊も読んだことがなかったが、この教えは忠実に守り続けている。

 

父や母と、本の感想を語り合う夢が叶うことはなかった。父は退職早々、50代で亡くなり、今年の春には母が旅立った。最期を迎えるまでの母の10年間は、認知症を患い、混濁する記憶と幻想を、私たち家族と共に受け入れるための10年でもあった。それでも、生きて、同じ空の下にいるだけでよかった。

 

Time was soft there. 

時代の先をめざしたり、意味のあることばかりを求めてきた。時間は留まることなく流れるが、本と一緒にいる時間は、目の前の世界とは全く別の世界で、全く異なる流れ方をしている。空想や懐かしさ、後ろ向きで漠然とした「どこかに帰りたい」気持ちまで受け止めてくれたのは、やはり本だけだったのかもしれない。

 

いまもなお、あっちからも、こっちからも逃げてばかりだが、逃避行の過程で見つかる宝物もある。この時間だけは誰も奪えない。