言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「玄(くろ)」の世界。

初めてカメラを手にしたのは、小5のとき。父が月賦で買ってきた「ミノルタハイマチック7s」だった。レンズはロッコールF1.8/48ミリ。父は買って間もなくカメラに興味がなくなり「おまえにやる」といって、私に自由に使わせた。

まだ白黒フィルムが主流の時代。毎日のように官舎の隣の駅まで出かけ、蒸気機関車を撮った。が、撮ったはいいが「現像代が高い」と父に叱られ、ほとんどの写真は日の目を見ることはなかった。

 

学生時代はカメラにふれることはなかった。旅を多くしたが、あえてカメラをもたず、旅先での光景を自分の眼に焼き付けようと、気負っていた。

就職し、写真撮影が仕事の一部になった。会社には一眼レフが数台あって、自分には、キャノンAE-1とペンタックSPが合っているように思えた。写りのあれこれではなく、手のなじみがよかった。正確には両者の「重さ」が心地よかった。「重さ」もデザインの一部であることを知ったのは、このときが初めてだった気がする(ライカの重さは、一度手にしたら、生涯忘れることができないほど、脳裏に刻まれる)。

 

暗室も経験したが、急ぎの仕上がりを求められてばかりで、フィルムは近くの現像所で、毎日、特急で仕上げてもらった。白黒写真の世界に次第に惹かれていったのは、この時期だったように思う。

 

銀塩カメラは、キャノン、ペンタックスと何台もの一眼レフを使ってきた。ニコンを持たなかったのは、あえてトヨタを避け、スバルばかりを選んで乗ってきた、そんなひねくれた気持ちにどこか似ている。

 

ある時期からデジタルに変更し、ペンタックスに絞った。手持ち撮影が多いので、ボディ側に手振れ防止機能があるのがありがたかった。初期のデジタル一眼の多くは、レンズ側にしか同機能がなく、レンズを選ばず手振れが防げたのは、ペンタックスの良心といってよい。

しかし、素直にいうことをきいてくれない、おまえはどこまでオレを追い込んで使えるか、といった小生意気な主張をしてくるのもペンタックス。換言すれば、マニュアルのクルマみたいで、使えば使うほど自分に馴染んでくるカメラともいえる。

 

白黒の現像は暗室でもデジタル処理でも、撮影そのものに匹敵するくらい、あるいはそれ以上に難しい。白黒とは一口でいうものの、黒と白の間にはあらゆる色が潜んでおり、コントラストを少し変えるだけで、イメージががらりと変わってしまう。色彩に委ねることがない分、ごまかしがきかない。

 

老子は、墨には「一切の色」が含まれ、その「玄(くろ)」は闇ではなく、黒になる一つ前、つまりどこかに「明るさ」を残していると述べている。黒は「玄」という哲学の世界を体現する色彩なのかもしれない。

 

写真の整理を続けている。数えきれないほどのベタ焼きのなかで、デジタル化しているのはまだ、ほんの一部。昔の写真を眺めると、稚拙なものばかりで「玄」がわかっていないなあと落ち込む。どんな道でも、その道を極めるには、宇宙的な時間が必要のようである。

 

※ フィルムはコダックのトライX。カメラはキャノンEOS620、レンズは35-105ミリ1本と決め、フィリピン・マニラのスラムに入った。ずいぶん昔のことだ。数年後、デジタル化は知人の写真店に頼み、データをパソコンで現像し直している。昔の暗室の記憶を辿るのは、楽しい作業であった 。