言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

帰郷と帰省。

メモを開く。2015年の記録が目に入る。この年は確かに、年明けから春まで、実家の整理と母の転居に関する手続きで、多忙を極めた。月に2度も北海道を往復することもあった。

 

母に荷物の整理を頼んでも、まったくといっていいほど進まない。進行の早い認知症を抱えていたうえに、80歳を過ぎて見知らぬ土地に引っ越すなど、過酷な現実に向き合うことはさぞかし辛かったはずである。

父が亡くなったあとの実家も、そこに母がいるというだけで、帰省する口実があった。小さな旅ができるという楽しみもあった。復路は必ず、札幌で1泊をした。この仕事の基礎を教わった街、娘が生まれた街。妹の家族と会ったり、かつての会社の先輩に会ったりもしたが、真っ直ぐに肺に届いてくる、冷涼で澄んだ空気を1日でも多く吸っていたかった。本州のもわんとした湿度は、いまだになれることができない。


帰郷と帰省は違うのだと、何かの本で読んだことがある。

 

帰郷は、文字通り、故郷に帰ること。帰省の「省」には「反省」と「親の安否を気遣う」の二つの意味があるというから、親のいる実家に帰ることが「帰省」である。年に何度か親の顔を見て、自分がどんなにか未熟なままであるかを確認する行為であるかもしれない。

母がまだ元気だったころ。朝、実家の前で雪かきをしていたら、向かいのニザワのおばちゃんが家から出てきて「ダイちゃん、内地って雪降るのかい?」と声をかけてくれたことがあった。本州を旅したことのない、昭和一桁生まれの年寄りたちにとっては、大宮も東京も横浜も盛岡も仙台もみんな「内地」であったり「とうきょう」なのだった。

 

「内地も雪降るときあるよ、ときどきだけど」と答えると、ニザワのおばちゃんは「雪のないところで生まれたかったなあ」と白い息をハアと吐き出し、家に戻っていった。