言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

同居内孤立。

古いメモをめくる。8年前の記録がつづられている。

 

外出中の出来事だった。クルマの運転中、何度も携帯が鳴った。コンビニの駐車場にクルマを止めて確認。母がお世話になっていたデイサービスからだった。すぐに、かけ直す。電話に出た担当者はいかにも迷惑そうなかん高い声で、母の膝に20くらいの水疱(すいほう)ができていて、病院に連れて行ったほうがいいのでは、とのことであった。

 

土曜午後で、病院は閉まっている。近くの薬局に飛び込み、薬剤師さんに事情を話し、ガーゼや薬を購入。施設に向かった。

膝の周りに、5ミリほどの水疱(すいほう)が確かに20個くらいできている。母から目を背け、窓の外を眺めながら、救急に走るほどでもないでしょうねえ、と女性スタッフが話す。礼をいい、母を引き取り、帰宅した。

 

本人は膝痛で貼った湿布かぶれと言い張るが、思い当たることがあった。前年、自宅を整理し、わが家に来る前のこと。手持ちのモグサで灸をし、それが火傷となってたくさんの水疱(すいほう)ができたことがあった。モグサやビワの葉灸のセットは破棄したはずだったが、念のために母の箪笥を探すと、あった。布団の間に隠し持っていたのだ。一部を施設に持ち込んだらしい。

 

マッチと灸のセットが、お菓子の箱に入っていて、使った痕跡があった。自宅にいても、換気扇を回せば、二階の私たちには気づかない。認知症が進み、皮膚の感覚が鈍っていた。灸のあとは全て火傷となり、水疱(すいほう)となった。前年の水疱(すいほう)のあとも、まだ消えていなかった。それだけ膝が痛かったのだろう。

 

掃除の洗剤や食器洗剤など、数種類の洗剤を混ぜ、自室の掃除をしていて大慌てをしたことがある。しかし、灸ともなると、火傷に加え、火事の危険もあった。結果として、認識できない自傷行為とみなされ、この出来事がグループホーム入居のきっかけとなった。

 

 

同居内孤立死は珍しくない。一緒に暮らしていても、同居の家族がいつ亡くなっていたかわかりにくいのだ。

ご近所さんや知人で、すでに10件以上もの同居内孤独死があった。お風呂やトイレ、玄関が多く、庭の端っこや物置の中もあった。朝、ベッドのなかで死亡が確認された友人も2人いる。いずれのケースも、突然の出来事に、家族は戸惑うばかりであった。年間の敷地内、自宅家屋内での事故死が交通事故の4-5倍となることはあまり知られていない。

 

どこにいたって、旅立つときは一人だけれど、最期を考えると、寂しい、悲しいではなく、ただただ重い気持ちになる。

 

後日、母は高島暦をめくって、のんきに、施設への引っ越しにいい日取りを探していた。後ろ姿がお雛様みたいに小さくなって、背中がお別れだね、世話になったねと語っていた。

 

わかれてからのまいにち雪ふる

 

ここにかうしてわたしおいてゐる冬夜

 

月澄むほどにわれとわが影踏みしめる

山頭火句集より