言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

牛乳。

苗字にシマがつくから、シマちゃんとみんなに呼ばれていた。父さんは炭鉱に勤めていた。炭鉱といっても、大きな会社の下請けの下請けみたいなところで、背中や腕に入れ墨をしている人たちがたくさんいるのだと、シマちゃんから何度も聞かされた。

みんなより一学年くらい上に見えるほど体格がいいのは、父さんの金回りがよく、毎日美味しいものを食べられるからだと思っていた。あの時代の役人や会社員、鉄道員などは給料とりと呼ばれて蔑まれ、炭鉱の人たちより、生活水準も低かった気がする。

ある朝、教室でシマちゃんが「今朝は、牛乳3本飲んだ」といった。
雪印のかい」
私は聞いた。
雪印の。冷蔵庫で冷やしたやつ、3本」
シマちゃんはそういって胸をはった。
「おいしかったか」
「おいしかった。うちは朝のごはん、パン、食べる」


当時、私の家には冷蔵庫などはなく、牛乳もパンも高価で、滅多に買ってもらうことはなかった。その数年前までは、給食に脱脂粉乳が出されていた時代。シマちゃんから牛乳とパンの話を聞くたびに、私は、朝ごはんのおかずにカレイの煮付けを出すような母親を心の底から軽蔑した。

シマちゃんは、みんなより確かに勉強ができなかった。時折、かんしゃくを起こして、机や椅子を持ち上げ、廊下にブン投げたりした。かんしゃくを起こしたときのシマちゃんは赤鬼みたいに顔を真っ赤にして、一言も言葉を発することなく、ウンウン唸って細い目にいっぱい涙をためていた。
友だちの何人かは、あいつは来年から特殊学級に行くんだと、陰口を叩いたりした。私はといえば、牛乳をたくさん飲むと、あんなに力持ちになれるのだと、ますます牛乳に憧れていった。

ある日、そんなシマちゃんに、聞いた。
「今朝も牛乳とパンだったの」
シマちゃんは静かに首を横に振って、
「いや」
といった。
「今朝は、牛乳、飲まなかったのかい」
「父さん、いなくなった」
シマちゃんはそれきり、何も話さなかった。


学校から帰ってすぐに、たまたま休みで、家にいた父に「牛乳3本飲みたい」とわがままをいってみた。父は3本は無理だが、1本ならいいと、私に1本分のお金を渡してくれた。


ニザワ商店は、家のすぐ向かいで、徒歩20歩くらいである。それでも駆け足で店に飛び込み、私は、ニザワのおばさんに「牛乳ちょうだい」と言った。ニザワのおばさんは「ちょっと待ってね」と言って、冷蔵庫に手をつっこみ、手前から1本取り出して「ダイちゃん、これ飲みな」と手渡してくれた。

ニザワのおばさんは、お金をとらなかった。「これ、古くなって、沸かして飲もうと思ってたんだ」。私は、その場でニザワのおばさんに蓋を開けてもらい、グビグビと喉を鳴らして、牛乳を飲みほした。次の瞬間、おなかがギュルギュルと鳴って、3本は飲めそうもないと、3本一気飲みの夢はあっさりあきらめたのだった。

「春はまだまだだねえ」。鉛色の空を仰ぎながら、ニザワのおばさんが言った。前日も、子どもの膝のあたりで雪が積もったばかりだったが、ニザワのおばさんの声があたたかった。「まだまだ寒いけど、春は必ず来るからさ」。

 

時の流れを止めることはできないが、憧れを手に入れるために流れる時間がある。私は何と答えていいのかわからず、ニザワのおばさんと同じように、空を見上げることにした。そして、これからもシマちゃんが、毎日1本だけでも、牛乳が飲めますようにと少し祈った。