年末、正月、そして、間もなく2月。こんなに早く時間が過ぎるなんて、と日々思うことが増えてきた。毎日を、この一瞬、この刹那を丁寧に生きることが大切って誰かが言っていた。けれど、いったい何をどう丁寧にすればいいのか、わからないまま時だけが過ぎていく。
刹那は梵語のKSANIKA・クシャニカの音を写した音写語で時間の単位をいう。1分=60秒 1時間=3600秒は誰もが知るところだが、1念=0.018秒や1瞬=0.36秒(20念)というミクロな時間の単位も現存する。
1刹那は0.013秒(1/75秒)で、仏教の時間概念では、最小の単位だ。時間はため込むことができない。一瞬、一つの刹那も真剣に生きよという教えなのだろうが、こんなことを書いている瞬間も、あくびが出て、仏さまの教えに申しわけない気持ちになる。
以前、A子さんが「毎朝、おまじないを唱えてから起床する」と話していたことを思い出す。おまじないって何ですか、と尋ねたら「ありがとうございます、を百回です」と笑っていた。いつも穏やかで、幸せそうな顔をしているのは、このおまじないのおかげなのだろう。発した言葉は瞬時にフォトン(光)となって、自身と周囲の周波数を高めるという。言霊って、ほんとのことらしい。丁寧に生きる見本のような、すてきな話だ。
B子さんは、文章を書くとき「一人」を意識して書くという。以前、こんな文面をメールで送ってくれた。「一人の人に向けて、不特定多数の人が読むものを書く。それは分け与えるということです。自分を含めた人間の心の力を、信じるということです」。自ら書く文章にも丁寧な人。
Mother Teresaの「死を待つ人々の家」の壁に、こんな言葉が書かれている。
人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい。
=中略=
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
言葉の裏に隠されているのは「それでも」である。「それでも──愛しなさい」「それでも──続けなさい」。丁寧に、ということはきっと「それでも」の繰り返し、ただただ続けることなのだ。しかし、自分はといえば、なるほどね、はあ、そうなんだ、程度の反省の繰り返し。情けない。
彼女の言葉は、こんなふうに締めくくられている。
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
結局は、全てあなたと
内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは、
一度もなかったのです。