言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「78:22の法則」。

資料をめくっているうちに「78:22の法則」という言葉が目に入った。ユダヤ人の法則で「22%の不完全部分は、後回し」というところ。

 

Never do today what you can put off until tomorrow.

(明日に延ばせる事は今日するな)

 

One of these days is none of these days.

(そのうちにという日はない)

 

こうした完璧主義を貫くつもりでいても、物事の「22%」は不完全で終わる。だったら、最初から「78点」を目標とし「22%」は次回からの課題とする。なるほど、それもありかもと受け止める。

 

78:22を比率で考えると、いろんなことが当てはまる。人間の体は水分78%、その他が22%。地球は、海が78%で陸地が22%。22%の優秀な社員によって、企業の利益の78%が達成される。空気中の成分は窒素が約78%で、酸素・二酸化炭素その他の気体が22%。1コイン500円で計算し、顧客が78%を使うと考えると「39=サンキュー=セット(390円)ができる」などなど。金を貸したい側の人がおおよそ78に対して、借りたい側の人が22という割合を応用し、ユダヤ人は銀行業で成功を遂げた。そんな話も納得がいく。

 

自分の仕事に点数をつけてみる。「78点」になど遠く及ばない。そのくせ、このまま自分の存在や仕事の中味など、すぐに忘れ去られるだろうと考えると、寂しい気持ちにもなる。勝手なものだ。

 

いちばんよくない指導者は「あの人のいうことを聞いておいたほうがいいよ」と陰で評される指導者だと聞いたことがある。

 

次によくない指導者のタイプは「あの人は素晴らしい人と、みんなにほめられる指導者」という。意外な気もしたが、生涯、忘れることのできない指導者とは、自分を超えることを許さない支配的な指導者と換言できなくもない。

 

もっとも優れた指導者とは「ああ、そういえば、そんな人もいたね」と忘れら去られる指導者という。かなりうがった見方ともいえるが、この話もまた「78%は、あなた自身の努力の賜物で、あとの22%は(指導者のおかげなどではなく)周囲の方々のおかげなのだよ」という意識が、指導者側にあるかどうかを問う話にも思えてくる。自分は、そうした指導者を尊敬し、自身もそうありたいと願ってきた。妙に、納得して聞いた覚えがある。

 

何事も「78点」どころか「60点」程度で満点と考え、あとの「40点」はまたいつかの課題にしておこうと、そんな甘い気持ちで生きている。どんな自分でも、どんな結果にでも、まずは「78点」を与え、折々の場面で自分に自信を与えつつ生きていたら、こんなに歪んだ人間にはならなかったのに、と思ってしまう。その一方で「いやいや、本当に大切なことって、実は考えていたことの2割しかなかった」と緩めの解釈をしてしまう自分もいる。

 

目の前にある場面で「78」と「22」を、どのように捉えるかで、人生の流れが決まっていく。このことは、他の数字でも当てはまるのだろうが、統計的な裏付けがあるからこそ、法則と呼ばれているのだろう。

 

人的ネットワークの拡大を望んだ若い時期もあったが、現在は、最盛期の2割前後の人とのつきあいだけが残っている。この数字の、さらに2割に絞られる時期もそう遠くはない。数年前からモノの整理を続け、持ち物の8割を捨てても、少しの不便も不自由もなかった。腹八分=80%=からあと2%だけ踏んばって「78%」の満腹感を意識化・習慣化することで、5キロやせて健康になった───。少し無理があるけど、あてはまることがあるにはある。

 

どんな場面でも、2割くらいの余白や継ぎ目、逃げ道を残しておくことは、成熟した大人にとっては大切なことだ。とはいえ、自分の場合は何をやっても「60点」で満足してしまい、あとの4割は隙間だらけでスカスカの人生だった。成熟した大人になれる可能性はこれからも「22%」くらいかな、と思っている。