言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「やぎさんゆうびん」。

月曜の朝は、いやだった。山羊(やぎ)の乳をもらいに行く日と決まっていたからだ。朝起きてすぐに「ほらっ」と母親に背中を押され、まだ眠い目をこすりながら家を出る。子どもの足で歩いても1、2分のところに八田さんの家があった。週に一度、月曜の朝早く、四合瓶1本の山羊の乳を、安くわけてもらうのである。


お店の冷蔵庫でキンキンに冷えた雪印の牛乳をたてつづけに3本飲むのが、小学5年のときの夢だった。山羊の乳など、牛乳を買うことができない自分たちのような貧しい家庭だけが、こっそり飲んでいる飲み物と思っていた。


八田さんの家は農家でも酪農家でもなかったが、山羊を3頭飼っていた。近所の子どもたちは学校の帰りに、八田さんの家の前を流れる小川の土手でのんびり草を食む山羊たちに、自分で摘んだ草やノートの端を切った紙切れを無理やり食べさせたりしていた。

 

いくらアタマの悪い私でも、人生の夢の全部を平気で捨ててしまったような、やる気のない山羊の目つきは、好きにはなれなかった。その山羊の乳をもらって飲むことは二重三重に子どもの私の心を傷つけた。



乳は、私が取りに行く直前に搾って煮沸消毒してあって、母はそのままゴボゴボとコップに注ぎ、母と私と妹とで、あっという間に飲み干した。父が泊まり勤務でいないときには、私が残りの1合を飲まされた。


昔、母乳が出なかったという母にとって、牛の乳より母乳に近い栄養があるとされる山羊の乳を私たちに与えることが、せめてもの罪滅ぼしだったのかもしれない。


しかし、ホモジナイズと小さく書かれた市販の牛乳と比べると乳臭さもケモノ臭さも草の臭さも強い感じがして、私も妹も山羊の乳を飲まされる月曜の朝が来るのが、実は憂鬱でしょうがなかったのである。

 


中学に入ると、給食で毎日、牛乳が出た。牛乳をたてつづけに3本飲む夢は、すぐに実現した。牛乳が苦手な女子がクラスに何人かいて、彼女たちに頼み込めば、すぐに譲ってもらえた。


ただ、山羊の乳に比べると、牛乳は、白い水みたいだった。山羊の乳の濃厚さは、牛乳の何倍もあった気がする。私はすぐに、ロッテのガーナチョコレートをたてつづけに3枚食べるという、新しい夢に向かってまい進することになった。


子どもと夢は、糊みたいに、ぺったりとくっついている。中1の正月のお年玉で、ロッテのガーナチョコレートをたてつづけに3枚食べる夢もあっさりと実現した。しかし、コップになみなみと注いだ山羊の乳を、もう一度だけ、一気にごくりと飲んでみたいという大人になってからの夢は、まだ果たせずにいる。

 
 

 

 

 

 

 

2014年2月28日、104歳で亡くなるまで、まどみちおさんが手掛けた童謡や絵本、詩集などの作品は、2000編を超える。せめてその半分だけでも、作品をふりかえってみたいと思っている。童謡「やぎさんゆうびん」の作詞はまど・みちおさんで、作曲は尊敬する團伊玖磨さん。

白やぎさんから お手紙 ついた
黒やぎさんたら 読まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事 なぁに
 

白やぎさんと黒やぎさんの間でお手紙が交換される「やぎさんゆうびん」は切ない歌だ。白やぎさんも黒やぎさんも、いつもお手紙を読む前に食べてしまうので、手紙はいつまで経っても、互いに届かない。届かないのだから、内容は永遠に、把握できない。

しかし、実は、手紙の中味など、やぎさんたちにとっては、どうでもよかったに違いない。やぎさんたちは、互いに、同じ空の下にいる相手のことを思い、元気でいることがわかっただけで安心なのだ。

「いま、この瞬間、在ること」を納得し、存在に安堵することは、その対極にある「無」を考える行為でもある。

かけがえのないことは、急いで変化していく。やぎさんたちのお手紙はいつか必ず、途絶えるときが来るだろう。だからこそ、いま、この瞬間が、この瞬間に、存在するもの全てがいとおしい、というまどさんのメッセージが、私たちの視界をクリアにする。