言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「西の魔女が死んだ」=魂は成長したがっているのです。

懐かしい感じがする陶器の四角いシンク。調理台にも使える小さめのダイニングテーブル。少し傷んだ木枠とアンティークなガラス窓。ベッド横のランプ台としても使えるナイトテーブル。調理もできるし、暖かな火も楽しめるクックストーブ。畑に広く突き出したサンルームと、そこからつながるキッチン。玄関ドアに使われているバラの模様のガラス――。

梨木香歩作『西の魔女が死んだ』は英国人のおばあちゃんと不登校になってしまった女の子「まい」が、森のなかでの暮らしを通して、心通わせる静かな物語。これまでに二度、読んだ。2008年に公開された映画では、さまざまな生命が息づく森のなかで、ひっそり佇むおばあちゃんの家や家具、インテリまでも再現され、強く印象に残っている。映画のなかでのおばあちゃんはシャーリー・マクレーンの娘で、幼少期を日本で暮らした経験を持つサチ・パーカー。知的で全身から溢れ出る温かさが、作品全体を優しく包み込む。

 
 
「西の魔女」は、まいとまいのお母さんが、おばあちゃんのことをこっそりと呼んでいる名前。野いちごを摘むところから始まるジャム作り。「真っ赤なルビーのような野いちごの群生」が目に浮かぶ。
 
毎回違ったハーブの入った紅茶、庭からレタスとキンレンカの葉を取ってきて作るサンドイッチ。香りをつけるために、洗濯したシーツをラベンダーの植込みの上でぱっと広げて乾かすことやイモムシを除けるためにハーブを煎じた水を草にかけたり、夜ぐっすり眠れるように、玉葱を寝室に置くことなどなど。たくさんの植物や水、光、風といった自然と人との関わりが細やかに描かれる。
 
おばあちゃんはいつも、孫娘のまいを見守り「日常をしっかり生きることは、生きる強さを持つこと」と教え込む。まいはおばあちゃんとの生活を通して、生きるための基礎、魂の在り処、死ぬことの意味までも学んでいく。
 
「魂は成長したがっているのです」という言葉が、読む者、観る者の魂にまで刻まれていく。基礎トレーニングは「早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活をする」ことである。おばあちゃんは、まいにこんなことも言って聞かせる。
 
自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。


 

ある日は、まいを抱いて「おばあちゃんが信じている事を聞かせましょう」と魂が身体から離れて自由になる「死」について語る。「身体と魂があって、まいなんですよ」というおばあちゃんに、まいは「身体が消えてなくなると言うのが怖い」と怯えたりもする。そんなときにも、おばあちゃんは毅然として「魂は身体を持っているから色々な経験をし、成長ができる。魂は成長したがっているのです」とそっと言い聞かせる。


まいが何かを話しかけるときのおばあちゃんの口癖は、
「I know」
このやり取りは何度も登場するが、まいの存在そのものを決して否定しない象徴的な言葉でもある。
 
両親が別の街に引っ越しすることが決まり、おばあちゃんの家を離れ、2年が経ったある日。まいは、おばあちゃんの死と向き合ことになる。駆け付けたおばあちゃんの家で偶然見つけたおばあちゃんからのメッセージには、こう書いてあった。
 
ニシノマジョカラ
ヒガシノマジョヘ 
オバアチャン 
タマシイダッシュツ 
ダイセイコウ

死について語り合うシーンは、この場面の伏線だったことがわかる。まいとの約束を忘れず、最期の瞬間までまいに優しくあり続けたおばあちゃん。まいは、誰もいなくなった台所に向い「おばあちゃん、大好き!」と叫ぶ。涙が後から後から流れてくる。


大きな事件も起きず、起伏も少なく推移する物語。読み終えたあと、あるいは映画は観終ったあとにも、長い間、心のなかに温かい何かが残照となって輝き続けるのがわかる。


おばあちゃんの口癖だった、
「I know」

それはどんなことがあっても「私はあなたから逃げない、ずっとここにいるよ」という「魔法」の言葉だったのでしょうね。