言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

最後の言い訳。

音楽が嫌いな人、というのはおそらくいない。ジャズやクラシックが好きだというと少し高尚に見えることもあるが、そんなことは全くなくて、演歌の好きな人にも品格の高い男や女はたくさんいる。

好きな音楽には、その人の還る場所が準備されている。着地点のような場所でもあり、そこには、その人でなければ知り得ない記憶の深い海がある。魂との邂逅の場といってよいのかもしれない。


長らくYoutubeなど無縁と思っていた。最近になってYoutubeを貼れる機能を初めて知った。

検索すると好きだった音楽がザクザク出てきて、仕事の終わったあとなどにイヤホンで聴くことが多くなった。

目を閉じて映像で浮かぶのは、歌詞の世界ではない。曲を聴いていたときの記憶の中の、自分のいる場面。時間の流れが逆流したり、滞ることで生き直すための力を得ることもある。


※Tondo( Manila),  Philippines.
 

※Negros Island, Philippines.
 
NGOの一員として、マニラのスラム街、ネグロス島の子たちの教育支援を進めていた。が、一つのプロジェクトが進むたび、さびしさやむなしさに包囲されるばかりの自分がいた。
 
東南アジア最大のスラムと呼ばれるマニラ「トンド」地区での仕事を終えた夕刻。一人、ぼろ雑巾みたいによれ切った身体を引きずり、通りかかったホテルのカフェに入った。

ほかに客はいなかった。フロントの女性が私の顔をちらっと見て、吹き抜けの真下にあったピアノに進んで蓋を開け、ゆっくりとある曲を弾きはじめた。
イントロの一音一音が記憶の扉を静かにノックをする、そんな感じがした。泥と埃、汗にまみれた子どもたちの笑顔がモノクロ映画のようによみがえってきた。
 
自分の手足、額や頬の汗や汚れも拭えぬままでいた自分に、はたと気付いた。こんな自分でも旋律に混じっていける、そんな弾き方だった。煙ったゴミの山の風景が、すごい速さでうしろに流れていった。
 
ピアノを弾き終えて振り向いた彼女に、こんなにきれいな曲があるのですね、といって礼をいい、曲の名を尋ねた。
"Hideaki  Tokunaga, 
Saigo No Iiwake"と彼女はいって、フロントの奥へと消えていった。