言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

犬の腹痛と旅人のはなし

〇日

撮影現場で、小さなかわいい犬が2匹、出迎えてくれた。

雑種しか飼ったことがないので、犬種は知らない。

飼い主の方が「近頃、元気がない」という。

そういわれれば、2匹とも、どことなく沈んだ表情。

 

「犬の腹痛(はらいた)」という言葉がある。

 

犬は身体に苦痛を感じていても、

痛みを抱え、

身体を丸めながら苦痛から解放される時間を

じっと待つのだという。

ネコだって、キリンだって、ゾウさんだって、きっと同じだ。

いつも、じたばたしてばかりいるのは人間だけ。

帰り際、犬たちの目を

まっすぐ見ることができなかった。

 

 

〇日

海外から帰ったばかりの友人から、

こんな話を聞いた。

 

旅先で出会う旅人には2つの種類がある。

1つ目は何かを「諦めて」旅を続けている人。

眼にはすでに力がなく、表情も虚ろ。

「帰る」こと、すなわち現実で生きることを諦めた人は、

もはや旅人ではない。

旅には「帰る」ことを諦めないという、

暗黙の絶対条件があるはずだ。

確かに。

ムンバイで、バンコクで、クアラルンプールやマニラで

らりった奴らとたくさん会った。

 

2つ目は「問い」を抱えた旅人。

国を、自分を、見失うことなく、いつかは「帰る」ことを前提に

何かを求め、問い続ける。

その眼は、一様に奥底に透明な光を湛えて見える、という。

 

後者の部類に属する旅人にも、たくさん出会った気がする。

見知らぬ地で自分を守ろうとする防御本能と

あらゆる事象を凝視しようとする

頑な意志が、知らず知らずのうちに、

眼光を鋭く澄んだものにするのだろう。

 

彼女の目も、真っ直ぐで透明な光を放っていた。

「これでいいのかなあと、自分に問い続ける1カ月でした」

 

自分は何と世間知らずで、弱い人間なのか。

旅を終えてそんなふうに内省するとき、

もっと大きな発見が、向こう側から歩いてくることがある。

だからいつも

旅を終えたばかりの人が、

いっそう美しく見えるのかもしれない。

 

 

〇日

図書館で調べもの。

ネットがあるのに、いつまでこんな効率の悪い

仕事をしているんだろう。

毎回の、反省。

 

なにかの本で読んだ、こんな話を思い出す。

 

頭のいい人が

2倍の速度でピンを作る方法を開発した。

それまでは、社会に必要な数だけのピンを作る人たちがいた。

すごいことが起きた!

ピンを作ってきた人たちは、

労働時間を半減させることではなく、

同じ時間で2倍の量のピンを作ることを選択した。

みんなが幸福になることを夢見ていたが、

やがて、みんな不幸になってしまった…という結末だったと思う。

 

図書館で調べものをする代わりに

ネットを駆使してコピペすれば、

おそらくは数十倍の効率で情報を入手し整理もできる。

だが、そうして得た情報は

体温も色の深みも粘着も堆積もなく、

どこまでも無機質で耳のうしろあたりを、通り過ぎるだけだ。

 

このバスに乗り遅れるな。

誰かとつながっていないと寂し過ぎる。

どこからか不気味に降りてくる、

そんな声に躍らせれ

行き先もわからぬまま、今日もバスに乗りつづけ、

こんなことを書いている。