言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

見えるもの、見えないもの

散歩を始めて10日ほどになる。

自分の人生で、散歩をする場面など、2週間前まで

想像すらしなかった。

動機は、歩いてみたくなったから。

春だから。

 

夕刻、散歩の途中で

白い杖を持った視覚障がい者

道に迷っている様子。

声をかける。

 

何度かバスで来たことがあるが、

福祉センターがわからなくなったとのこと。

遠くないので

どうぞといって、腕を差し出す。

誘導の際には、

誘導をする側の肘の上を軽く握ってもらう。

昔、視覚障かい者のご夫妻の話を聞いた際、教わった。

 

「全然、見えないんですか」

「はーい。全盲です」

「バスに乗るなんて、勇気ありますね」

「慣れると、なんてことないですよ」

「あっ、そこ。3センチくらいの段差あります」

「杖でわかります」

「すごいですね、天才ですね」

「いやあ、それほどでも」

「私、飲んだ帰り、よく段差につまずきます」

「飲んだら、私もですよ」

「飲むんですか」

「好きなんですよ。一応、大人だからね」

「飲んだあとも、こうやって、外歩くんですか」

「バスに乗って、家に帰るのは同じです」

「車道、わたりまーす」

「はーい」

「あと10メートルくらいです」

「はーい、そうですね」

「なんで、わかるんですか」

「屋根のあるアプローチや入口って、音が反響して聞こえます」

「全身の感覚、全開って感じですね」

「いやあ、それほどでも」

「はーい、到着」

「はーい、ありがとうね」

 

 

すべてのみえるものは、

みえないものにさわっている。

きこえるものは、

きこえないものにさわっている。

       ――ヴァーリス(ドイツの詩人)