言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

スナフキンとユルスナールの靴。

 

 

スナフキンが好きだ。自由と音楽を愛し、世界中を旅する吟遊詩人。ハーモニカと古ぼけた帽子がトレードマークで、人にもものにも執着せず、秋になると一人、ムーミン谷を去っていく。その姿に、ずっと憧れてきた。

 

靴も服も、誰かからもらったお古。ムーミントロールは親友で、ムーミンパパとは酒をくみかわす仲だが、旅の暮らしをやたらと美化しようとするパパの妄想癖には、いささか閉口している。

 

孤独を大事にしないと、いい詩が生まれないことを、スナフキンは分かってほしいのだ。

 

ムーミン谷への遠い道のり」に、こんな場面があった。ムーミンパパが尋ねる。「そんなにでかい靴でひとを怖がらせるのはなぜかね?」。スナフキンは答える。「旅人ってのは、ぴったりの靴にありつけないものなんでね」。

 

作者のトーベ・ヤンソンはこう語っている。「ムーミンの家族はいたって自然なかたちで幸せなので、自分たちが幸せだということさえ知らない」。

 

幸せなのは、互いに自由を与え合えるから。干渉し過ぎない意志を持ち、自立こそが自分たちの幸せの基盤であることを、ムーミン谷の住人は理解している。

 

だから、ムーミンパパは今夜もふらりと家を出ていくし、スナフキンは大き目の靴でも旅を続けられる。「いまがそのとき」がスナフキンの信条だが、それはいつでも大事な決断できるように、身軽さを大事にしているからでもある。

 

 

 

 

靴といえば、こんな言葉も思い出す。

「きっちりと足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする」

 

イタリア文学者でエッセイストでもある須賀敦子著「ユルスナールの靴」のプロローグである。 

 

ユルスナールは、ベルギー系フランス人の作家で、生まれてすぐに母を亡くし、父は幼い彼女を連れて放浪を続けた。ユルスナール自身も父が亡くなった20代半ばからヨーロッパ各地を放浪し、第二次世界大戦のさなか、恋人の女性と渡ったアメリカで生涯を終えている。

 

須賀敦子はそんな旅のかたちに自らの半生を重ね、靴の記憶をたどりながら、ユルスナールの足跡を描いた。

 

 

 

合わない靴を履くと、疲労感がつきまとう。歩きづらさ、ぎこちなさは、思うように歩を進めることのできない人生の仕組みに似ているかもしれない。

 

一人で歩けるようになるまでには、身体の成熟、孤独に耐える力も必要だ。日常とそうでない世界とを行きつ戻りつ、靴はやがて、限りなく皮膚に近くなり、いつかは自分を支える存在へと変わっていく。どんな靴でも、履き続けようとする多少の辛抱と覚悟が必要のようである。

 

3年ぶりに夏用の靴を買い替えた。試し履きをさせてもらった。靴は「捨て寸」と呼ばれるゆとりが大事で、つま先を1センチ前後空けるのが目安という。何足か履いてみたが、今回はどうにも「捨て寸」がしっくりこない。

 

店の人に尋ねると「親指の先が少し余っている。もう一つ小さいサイズでもいいのでは」とのアドバイス。靴は履いているうちに伸びる。ただし、縦には伸びず、横に伸びる。幅だけが広くなる。「指先の隙間が気になる靴は、いつまでたってもブカブカした履き心地のままです」。

 

なるほとど納得し「捨て寸」のない、ぴったりの靴を購入してみたものの、親指がつま先にくっつく窮屈さに慣れずにいる。前回買った靴より2000円近くも奮発したのにと、いまさら悔やんでもしかたがないのだけれど。

 

この不自由さをかこちながら、3年先くらいまで、この靴で歩いてみようと決めている。