吉本ばななの本は、40冊以上読んだかもしれない。平易な文章のなかに、光る言葉がいくつもある。生と死、現実と幻想が混在した世界のなかを、ゆっくりと旅をする、そんな楽しみがある。
「ここには何か違う空気がある。むきだしの本物の真実の自分以外はひねりつぶされてしまうような、強く光るものがある」
「マリカにひかれるのは、きっと、私の中にも、この現実とはうまくやっていけない幼児のようななにかが潜んでいるからだろう」
日常のなかでは無意識に目を背けがちな自分の内の闇にそっとふれるような、こんな文章が散りばめられて、(この作家の場合)物語を読むというではなく、言葉を発見しながら丁寧に読み進める。
文体はいつも穏やかで、身体や気持ちを和らげるハーブティーのようでもある。男の性からはけっして発せられることのない、女性ならではの、しかし、どこか少女のかわいさを湛えた官能を秘めているのも、この人の物語の特徴だ。
幼い頃に両親に虐待された多重人格者のマリカとマリカの慕うジュンコ先生の旅の物語。舞台は主にバリ。この旅は転生の旅でもある。
マリカのなかに棲む多重人格は確かに、誰の内面にも息づく人格かもしれない。絶対的な救済がないからこそ、読後の切なさが長く続く。
マリカと同じ多重人格を持つ人と、知り合ったことがあった。40歳を少し超えた美しい女性だった。彼女が入院する直前に会ったという恋人が、1枚の紙きれを見せてくれた。13人の人格のうちの、「5歳の少年」の人格が書いたという。ノートの半分ほどを乱暴にちぎった紙に、覚えたてのようなひらがなで書かれてあった。
「わすれないで だい すき」
※●●年の読書メモから。