言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

小さな生活。

〇日

一つの仕事を終えると闇の世界【Rabbit Hole】から抜け出し、現実世界に戻ってくるような気持ちになる。どんなにささいな仕事にだって、物語があって新たな発見がある。仕事の最中はうんざりすることの連続だが、物語から抜け出すと少しさびしい。勝手なものだ。

 

〇日

わが家の「小さな生活計画」の一環として、2000CCのSUVを売却し、軽自動に乗り換えてから8年になる。以前は、タイヤ交換や車検のたびに10万円を超えるコストがかかっていたが、いまはタイヤ交換が4万円前後、車検は以前のほぼ半額で済む。SUVの燃費はリッター14キロ(平均)ほどで、ディーラーからは自社内最高レベルとお褒めをいただいた。いまの軽自動車は夏で22キロ(長距離だと26キロ カタログ値を超える)、冬17キロ程度。どちらもAWDなので、このくらいで合格点。今度の車検で、クルマはやめよう、と考えるようになった。バスや電車の移動も嫌いじゃないし、行けないところには行かなければよい。

 

〇日

高野悦子二十歳の原点」を読み直す。1971年発刊だが、いままで「はたちのげんてん」と思い込んできた。正確には「にじゅっさいのげんてん」なのだそうだ。

――独りであること、未熟であることを認識の基点に、青春を駆けぬけていった一女子大生の愛と死のノート。学園紛争の嵐の中で、自己を確立しようと格闘しながらも、理想を砕かれ、愛に破れ、予期せぬうちにキャンパスの孤独者となり、自ら生命を絶っていった痛切な魂の証言。明るさとニヒリズムが交錯した混沌状態の中にあふれる清冽な詩精神が、読む者の胸を打たずにはおかない(新潮社HP)。

若い時代、何度も読んだ。ほとばしるような無垢な生命体が時代に翻弄され、はかなく散っていく。こんな生き方があることに感動するというより、驚くほかはなかった。身体が震えた。自分は、どう自分と向き合い、どう闘っているのか。不安になると手に取ってきた1冊。

 

〇日

年末の大掛かりな掃除はやめにして、毎日、数分程度の「小掃除」を日課にしている。固く絞った雑巾に汚れが付くと、やったあと思うと同時に、いままで気づかず、ごめんねという気持ちになる。あくまで自分のために割り切った掃除だが、身の回りを清潔に保つことは、気持ちの安定をはじめ、いろんな効果があることが心理学・社会学的にもわかってきてきたようだ。

アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案した「Broken Windows Theory(割れ窓理論)」は「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」という話。地域に荒れた家が一軒あるだけで、周辺はやがてスラム化していくという事例は、世界中で珍しくない。床に落ちた1つ2つのゴミを放っておくだけで、ゴミ屋敷化するまで時間がかからない、という話と同じ。

ニューヨークのジュリアーニ元市長は、街や地下鉄などの落書きを取り締まり、結果として、凶悪犯罪の件数までも激減させた。スティーブ・ジョブズがアップルに戻ってきて最初にした仕事は、職場の「環境」を変えることだった。直後に会社が急成長を遂げたことは有名な話。ディズニーランドでは、施設内のささいな汚れや傷も、見つけ次第、清掃、修繕を徹底し、従業員だけでなく、来客のマナーまでも向上させている。

日本では古くから「掃除は神事」といわれてきた。少々面倒でも、毎日ほんの数分、神さまのために、自分のために、歯を磨くみたいに掃除をする。それで、何かいいことが起きればお得な話。

先日、掃除のついでに、仕事場、玄関、リビング、洗面所、台所などの照明をLEDに交換した。まとめて通販で買っておいた。

3.11の震災以降、毎年、(3.11の)前年比20%台の光熱費削減を実践してきた。しかし、最高でも前年比29%減で、3割以上の削減が難しかった。猛暑、厳寒の月でも電気代は9000~15000円程度で済んでいる。身体に心に、ダメージを与える節約は邪道だ。昨年、ようやく30%減を実現できたと思ったら、値上げラッシュ。いつまで経っても、家計は楽にならない。

 

繰り返しだけに見える小さな生活だけれど、そこには時間や生命の営みの、数えきれない物語が折り畳まれ、重なり合っている。大きさや強さよりも小さいことや弱いこと、速度より深さを、見えるもののみならず、目に見えないものにまで、生活の襞や余白が見えるようになってきたら、日常って案外、幸福で満ちていることに気づくのかもしれない。