言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

眼は遠くを、足は地に。

〇日

スーパーで1週間分の買い出し。久々に、パイナップル(切り分けされているもの)を買う。

母がまだ元気だったころ、毎週、施設(グループホーム)にもっていったことを思い出す。自分とカミさんと母の分を、5、6切れにしたものをタッパに入れていく。機嫌のいい日は、職員さんとエレベーターの前で待っていて、ドアが開くと、ウワッと大きな声を出し、手をパーにして私たちを驚かした。全然驚かないのだけれど、ウワッといって両手を広げ、驚くふりをした。

 

部屋でタッパを開くと、ひとーつ、ふたーつ、みーっつと数を数えて3等分。そのあと必ず、自分の分を一つ少なくより分け、一つ余計にカミさんに渡して「食べなさい」といった。

認知症になってもなお、母親というのは自分より一つでも多くのものを、分け与えようとする生き物なんだ。そんなふうにやさしくなりたいと思ってきたが、なかなか難しい。

 

 

〇日

知人に何冊かの新刊をすすめられるが、買うきっかけがない。本棚にある本の再読、再再読だけで、あと何年かかるだろう。古い作品が好きなのではない。新しいものと古いものとを比べると、どうしても後者が先になってしまう。

 

仕事とはいえ、これまで国内外で1500以上の家を拝見する機会があった。スタイリッシュに見えるハウスメーカーの「商品」や流行のスタイルの多くが、数年後、ほかのどの家よりみすぼらしく見えることが少なくなかった。反対に、住んでみたいと憧れる家の多くは、100年以上も前に建てられた家であった。

 

「計画を立てるには、歴史観を持たなければできません」

 

建築家の浅田孝さんの言葉である。10年後の計画をつくるなら、少なくとも30年前までさかのぼって知りなさい。20年後の計画をつくるなら、少なくとも50年までさかのぼって知りなさい、というのである。

これまで生きてきた人の営み、土地や文化の堆積を知ることなしに、将来への投資などはできない、という意味にとらえることもできる。流行にとらわれず、これまで継承された暮らしの細部、家の有様を学ぶことだけで、普遍的ともいえる家のかたち、暮らしの本質が見えてくる。うっすらとしか見えていないとしても、何も見えていないことより価値はある。

 

社会人になって初めてお世話になった上司のAさん、仕事で多く関わったB教授からも同じようなことを教わった。お二人とも「一つの専門分野に関わる際には、まずは自分の背丈くらいの本を読め」というのであった。それで終わりではなく「そうして初めて入り口に立てる」というのが共通した教え。大きな仕事にのぞむ際には、数人分の背丈を越える本を読んだうえで、めざす世界に分け入った。悲しいことに、見えてくるのは壁ばかり。

 

 

〇日

テレビで、スポーツ選手の話題を取り上げていた。きれいな人だなあと、思わず振り返る。競泳女子の一ノ瀬メイさんという人であった。京都府出身で、イギリス人の父と日本人の母を持つ。生まれつき右腕は左腕の半分くらいの長さしかない。子どものころから、人と違う扱いを受けてきた。

「小学生の時に、地元のスイミングスクールに入ろうとしたら断られたんです。もし、その時にスクールに入って健常の子たちと一緒に泳げていたら…」

それでも、パラリンピックをめざし、リオ2016パラリンピックに出場した(2021年10月末に現役引退)。

 

「眼は遠くを、足は地に」

 

元国連事務次長・明石康氏の言葉を大切にしているという。競技の世界でも政治、文化、どんな世界でも、大切にできそうな言葉。

なかなか遠くは見えてこないが、せめて、しっかりと足は地に。