言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

私が後悔するのは。

〇日

午前、八幡宮。ここ数年は、初詣ではなく、年末の参拝。お願いごとはしない。1年を無事に終えることができたことへの感謝。昨年も今年も、たくさんの起伏はあったのだけど、いま、ここに、生きていられることには感謝の気持ちしかない。

墓苑の次に好きな場所。この街では。境内にはいつも「気」がみなぎっている。朱塗りの社殿が目に眩しい。

水墨画や寺社建築など、日本のアートはどちらかというとモノクロームの世界と思われがちだが、縄文時代から象徴的に使われてきたのは赤である。一つ目は太陽の赤。二つ目は炎の赤。三つ目は血の赤。自然の摂理に対する畏怖がそのままインスパイアされ、日本人にとって身近な色になった。

お墓に行くのも、八幡宮を訪れるのも、目的は同じ。モヤッとしたものを払拭したいから。そして、感謝。生き方が変わるとか、変えたいとかではない。気持ちがいいだけで十分。

 

〇日

この季節になると、無性に日本海が見たくなる。荒海とインクをこぼしたような濃い藍の水平線。海の原風景には、凪がない。そんな季節ばかり選んで旅をしていたからか。

北海道の余市津軽の深浦、秋田の由利本荘、山形の鶴岡、新潟や富山の海も忘れられない。

これまで見てきた、冬の海に思いを派遣させる。派遣の「遣」は「思い遣(や)る」の「遣」でもある。想像はすなわち、思いを「遣る」ということ。海に届いて、また自分に還る。

 

〇日

毎年、年の初めに100のテーマを書く。テーマといってもごく小さな願いや目標ばかり。今年こそ新しい消しゴムを買おうとか、本棚の三段目の本を整理するとかで、あっという間に100になる。パソコンでそれらを書いたら、あとはほったらかして、年末に確認する。これしかできなかったという反省と、こんなにできたという歓びを噛みしめる。そもそも目標が小さいので、8割はクリアしている。それが自信の積み重ねの第一歩になるようだ。

 

先日、クルマでラジオをつけたら、同じようなことを話している人がいた。自分の場合、誰から教わったわけでもなかったが、自信になった。

 

小さくても大きくても、願いや目標を、言葉にし、文字にする。そうすると、さっきよりも何かが動いているのがわかる。願いは叶わずとも、そのことだけでも価値はある。

 

イングリッド・バーグマンの言葉だったか、メモが残っていた。「私が後悔するのは、しなかったことであり、できなかったことではない」。自分の場合、こんなにカッコのいいことではないのだけれど、年の初めの楽しみの一つ。